『裸足の記憶と、銀色の安心』

2025年6月22日:3日目の記録です。

朝、サークルの前に小さな水たまりができていた。
フリースペースにおしっこ。

思わず「あれ?」と声が漏れる。
大きすぎたのかもしれない、という結論に至り、急遽サークルを縮小。

クレートとトイレトレーだけの小さな空間へ。

けれどその変化に、ジュマはするりと適応し、
むしろトイレトレーを気に入りはじめてしまった。

冷たいのが気持ちいいのか、そこを寝床にしようとする姿に、
ちょっと慌ててホームセンターへ走った。

 

手にしたのは、アルミプレート。

こんなもので…と思いながら設置してみると、
ジュマはまるで「これだよ」と言わんばかりに、クレートの中でごろんと丸まった。

銀色の冷たさが、ようやく“安心できる場所”の輪郭をなぞってくれた気がした。

 

お昼前には、家族4人とジュマでお庭へ。

裸足になった子どもたちが走り回り、水しぶきが陽に透ける。
ジュマもその空気につられてか、いや、おやつの誘惑か、お庭を2周も歩いた。

ボール遊び、水遊び、笑い声。

去年ニュージーランドで見た風景がよみがえる。
裸足で犬と遊ぶ人たち、大人も子どもも自由に、気負いなく。

あの時衝撃を受けた“暮らしの絵”が、
今日、自分たちの足元に広がっていたことに気づいて、胸がすこし震えた。

 

午後は、ジュマ初めてのお留守番。

オンラインカメラで何度か確認するたび、
大の字で爆睡している姿にこちらが驚かされる。

人がいるときには見せなかった、完全な無防備。

留守番が彼にとって“自分の時間”になっていたことが、
なんだか少し嬉しかった。

 

帰宅時の吠えも、最初だけ。

落ち着いて、また静かに馴染んでいくジュマは、
ほんとうに賢い子だなと思う。

 

夜は、お出かけの帰りに買った2冊の本を、夫婦でじっくり読む。
『犬のしつけ大全』と『犬と遊ぶレッスンテクニック』。

読みながら思ったのは、意外なほど“人間と同じだ”ということ。

子育てが天職のような妻の姿と重なる部分があって、
感覚の奥深くまで繋がっていくような感触があった。

 

知識がなければ、感覚も育たない。

そんな当たり前のことを、改めて実感する夜だった。

 

今日は、ジュマの動きにも安心が見えた。
アルミプレートの冷たさか、それとも家族の空気か。

クレートで静かに休む姿に、ようやく肩の力が抜けた。

 

夜ご飯もぺろりと完食。

終わりよければすべてよし。

そんな風に、三日目の夜は、そっと穏やかに沈んでいった。